2012年05月

裁判官が国を滅ぼす

 「裁判官が国を滅ぼす」とは聞き慣れないフレーズだと思われる。よく言われるのは、「日教組が~」、「民主党が~」、「朝日新聞が~」というところだろうか。しかし、民間企業で法務を担当していると、反日裁判官・左翼裁判官は、時として不倶戴天の敵とでも言うべき存在になる。もともと私は、非常識が服を着て歩いているような日本の裁判官などは信用していないのだが、人事・労働問題などにかかわるようになると、いよいよ裁判官は天敵になる。


いまさら言うまでもないが、日本は詐欺師天国である。この国にいる限り、詐欺師ほど楽で見入りのいい商売は、中々ないのではないかとさえ思えてくる。振り込め詐欺の被害総額は30億円にもなるそうだが、もっともな話だと納得してしまう。ただし、私自身は詐欺師というわけではないし、詐欺行為を勧めるつもりもない。日々感じる率直な感想である。そもそも、日本人は、法を破ることが悪いことだという意識を、余り持っていないように見える。悪いのは違法行為や犯罪が発覚すること、官憲に見つかることであり、見つからなければ何をしても良いのである。それが多くの日本人の認識なのではないかと思う。昨今、農作物の盗取や貝の密猟などが公然と行われているようだが、発覚しても開き直って持ち去る盗っ人が多いそうで、既に悪いとさえ思わないところまで来ているようだ。彼らの理屈は決まっていて、盗まれる方が悪い、騙される方が悪いということなのである。しかも、もはやそういう考え方は、社会全般に蔓延しているように思える。たとえば、裁判でも騙される方が悪いという理屈は通るのである。


さて、労働問題にかかわりを持つと、当然のことながら、従業員の解雇・降格・減俸などの問題について相談を受けるようになるが、多くの場合、これらの処分は不可能に近いのが実情である。労働関係の裁判では、労働者は殺人犯以上に手厚く保護されている。懲戒解雇などはまずできないし(ただし、痴漢で現行犯逮捕されて有罪になった従業員は解雇できた)、無能な管理職を降格させて平社員にすることも難しい。たとえ平社員にできたとしても、管理職のときと同額の給与を支払わなければならないというのだから、その従業員が中途採用だったりすると、会社としては詐欺に引っ掛かったも同然である。就職詐欺という言葉があるとすると、就職詐欺を行う詐欺師は、採用面接で思いっきりはったりを利かせ、採用担当者をまんまと欺いて採用させることになる。もちろん給与は高値いっぱいである。そして、試用期間が過ぎるまで何とかごまかせば、あとは我が世の春を謳歌できることになる。半年分の仕事をこなすのに8年間を要するくらい無能でない限り、解雇されることはない。解雇されそうになったら、労働基準監督署に駆け込んだり、訴訟を起こせば良いのである。正義の味方を気取った監督署の小役人や裁判官が会社側を敗訴させ、詐欺師従業員は悠々と遊んで暮らせることになる。正直者は馬鹿を見るというのは、日本社会を実に的確に言い当てた言葉である。


なお、こういう問題は解雇に限ったことではない。まんまと管理職で採用されたものの、平社員よりも知識・経験・能力が劣るため、平社員に格下げされて、元部下に仕事を教わりながら業務を続けるというケースもある。こういう元管理職が、仕事を教えている元部下よりも遙かに高給だったりするので、いきおい会社としては減俸を考える。しかし、こういう場合も、元管理職の無能従業員は、裁判を起こせばしっかり保護される。「本人の同意なしに減俸はできない」という判決が出るのである。しかし、どこの世界に自分の減俸に同意する労働者がいるだろうか。当然のことだが、無能な人間ほど自分の減俸に同意などしない。人は自ら進んで自分の墓穴は掘らないものなのである(私の持論の一つだが、この言葉は使う機会が多い)。正体がばれてしまった以上、昇給の可能性はほとんどなくなったわけだから、絶対に減俸に同意などしないに決まっている。「本人の同意があれば減俸できる」とヌケヌケと言い出す裁判官は、底なしの馬鹿に違いない。はっきりと「どんなに無能だろうと、減俸などできない」と言った方がまだマシというものだ。結果として、会社は平社員よりも仕事ができない元管理職に高給を払い、本人が自主的に退職するまで扶養しなければならない羽目に陥るのである。騙す人間より騙される人間の方が悪いという日本社会のルールがここにもある。


さて、原理原則どおりと言うべきか、弱者保護の正義の味方気取りと言うべきか、評価は人それぞれだろうが、会社側担当者にとっては、これほど理不尽な話はそうそうあるものではない。詐欺師は「日本は詐欺師にとっては天国なのだ」と嘯くに違いない。物知りを気取った似非専門家は、こういう判例を見て、解雇や減俸などはできないのだと得意気にまくしたてるのが世の常である。しかし、話はそう単純ではない。「裁判官がそう言っているのだから、それが正しいのだ」では済まないのである。まず、「平社員になって、碌に仕事をしないでも管理職の給料が貰えるのなら、仕事など誰がするものか」という人間が後に続くのは当然のことである。従業員1,000人の会社で、そういう従業員が500人もいたら、どんな優良企業もたちまち倒産してしまうだろう。何もできない元管理職に仕事を教えている真面目な元部下は、自分の方が遙かに給料が低いということになれば、馬鹿馬鹿しくてやっていられないから、優秀で真面目な従業員は退職していってしまう。結果として、会社は、危なくて中途採用者にまともな給料は払えないようになるから、有能な経験者は採用できないし、そんな会社には新卒だって入社するはずがない。正義の味方の労働基準監督署の小役人や裁判官のお陰で、会社は倒産するしかないということになるだろう。かつて、「人命は地球よりも重い」と言って、テロリストに資金援助した首相がいたが、「無能労働者の既得権は、会社よりも重い」というわけである。馬鹿は死ななきゃ治らないというが、日本の裁判官の非常識は、たとえ死んでも治ることはないだろう。もちろん労働基準監督署の小役人も同様である。


会社が倒産してしまえば、とどのつまりは、就職詐欺師も同じ運命になるのだが、その顛末が余りにもお粗末である。電力は供給されないし、裁判官は詐欺師同然の労働者の味方をするでは会社はやっていられない。こんな国からは企業が逃げ出すのが当然である。風が吹けば桶屋が儲かる式に言うと、結果として税収は減少、失業者は増大、国民は国を捨てて海外へ流出して、ますます少子化・人口減少に拍車がかかるといったことになる。国を滅ぼす元凶は、民主党、日教組、反日マスコミ等だけではない。裁判官もまた国を滅ぼす元凶の片割れなのである。自衛隊を潰したがっている裁判官や、外国人参政権を認めたがっている裁判官がいることも、合点がいくというものだ。


余談だが、なぜ日本の裁判官はここまで馬鹿で、国民の常識と乖離した世界に生きているのだろうか。理由は色々あるだろうが、まず、大抵の裁判官は、子供の頃から教育ママに乳母日傘で育てられ、社会の常識とは無縁だったということがあるだろう。また、マッカーサー憲法で身分を保障されているから、民間企業の労働者もそういうものだと信じて疑わないのだろう。およそ降格や減俸などは、彼等の目には殺人にも等しい犯罪行為に見えるに違いない。こんな裁判官たちを血税で養っている日本国民は、まるで奴隷のようなものである。もっとも、彼等にとっては、国民はまぎれもなく奴隷でしかないに違いない。

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原発再稼働反対狂騒曲

 原子力発電所の再稼働をめぐって世間が何かと賑やかだ。再稼働反対が今時の流行のようだが、まるで民主党による詐欺選挙を彷彿させる状況で、いかにも日本的・日本人的であり、日本人は生まれながらにファシストなのだろうと思えてくる。どちらかと言えば天の邪鬼で、少数派擁護の性癖がある私としては、この手のヒステリー集団には与しにくいところである。

 なにも私は、原子力大好き人間というわけではない。原発に放射能汚染という危険がある以上、廃止できるのなら廃止すれば良いに決まっている。しかし、本当に、原発は未来永劫廃止が可能なのだろうか。反対派に明確な回答をしてもらいたいものだが、もちろん明確な回答などできるはずはないだろう。

 先頃は、瀬戸内寂聴さんが再稼働反対のハンストを行ったとの報道もあったようだが、あの年齢でマハトマ・ガンジー流の死の断食は厳しかろうと思ったら、1食か2食を抜いただけらしい。ハンストというよりラマダンであり、忙しいサラリーマンなら日常茶飯のことである。どうやら、左翼運動や反日運動を行う市民グループが得意とする売名行為だったようで、何ともつまらない報道だが、日本のマスコミ報道の胡散臭さを証明する一例ではあるだろう。

 それはさておき、反対派の主張には強い違和感を覚える。たとえば、未来の子供や孫たちの安全を脅かすといった主張があるようだが、胡散臭いというか浅慮というか、到底支持できない主張なのだが、巷ではこのような主張が受けるようである。しかし、原発を廃止して、この先どのように電力を供給するというのだろうか。火力発電が良いという意見が多いだろうが、凋落の一途をたどる日本が、莫大な燃料費を支払い続ける能力を維持できるとは思えない。仮に維持できたとしても、石油自体が枯渇してしまえばお終いである。ではその後は?水力発電のみというのも不可能だろうし、風力発電や地熱発電が原発の代わりになるはずもないだろう。マッカーサーが望んだように、日本は農業と漁業だけの国になり、エアコンも冷蔵庫もなく、ランプを灯して生活する未開の国になるのだろうか。それも選択肢の一つには違いないだろうが、現実的ではないだろう。原発反対派の目指すところは何なのかということだが、ハッキリ言って、彼らは何も考えてはいないだろう。日本の製造業が次々に海外へ脱出して職場がなくなり、やがて冷蔵庫すら使えなくなって、やっぱり原発は必要だということになるのが関の山で、まるで前回の衆議員選挙を見るようである。

 これはあくまで私見だが、そもそもの発想がナンセンスなのである。原発に代わる発電の目途もなく、ただ闇雲に反対するのは愚の骨頂だろう。未来の子孫のためというのはもっともらしく聞こえるが、実は姑息な誤魔化しにすぎない。私たちの子供や孫の時代になったら、どのみち原発を再稼働しなければならなくなるだろうから、その時のために、技術を進歩・発展させて、安全・安心な原発を実現する研究を続けることこそが未来の子孫のためである。彼らの主張は、「危険なことは未来の子孫に任せ、我々の時代は危険を避け、安全な火力発電や水力発電で乗り切ろう」ということである。要は、自分たちさえ安全なら、未来の子孫たちはどうでも良いというのが彼らの本音に違いないのであり、未来の子孫のために原発を廃止するというのは詭弁にすぎないのである。

 もっとも、日本国内の製造業を壊滅させ、日本を衰退させることが目的の組織・グループもあることだろう。市民運動グループの大半はその類かもしれない。私たちは、ヒステリー状態に陥ることなく、冷静な判断を心がけるべきである。本当に未来の子孫のことを思うなら、安全・確実な原子力発電を未来の子孫に残すべきであると思う。


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猫ひろしさんのオリンピック

 カンボジアの代表として、ロンドン・オリンピックのマラソンに出場するはずだった猫ひろしさんに対し、国際陸上競技連盟が、参加資格を満たしていないとの判断をしたそうだ。オリンピック出場は断念せざるを得ないことになったが、正直なところほっとした気分である。

 猫さんやファンの人たちには申し訳ないが、猫さんがカンボジア国籍を取得して、カンボジアの代表になったことには強い違和感があった。テレビ番組などでは、猫さんの代表決定で盛り上がっていたようだが、私にはその心情が全く理解できなかった。私は猫さんに恨みがあるわけではないし、嫌っていたわけでもない。実は、オリンピック騒動が起きるまで、その存在すら知らなかった人である。しかし、形振り構わないというか、目的のためには手段を選ばないという印象が拭えなかったため、どうにも納得がいかなかった。

 日本では、オリンピックを神聖視するというか、オリンピックに出場した人を特別視する傾向が強いようだが、オリンピック病とでも言いたくなるところである。これも外国コンプレックスに原因があるのではないかという気がするくらいで、結果として、今回のようなオリンピック狂騒曲になるのだろうが、どう考えても違和感がある。そもそも国際大会で祖国の代表になるというのはそういうことなのだろうか。もちろん、猫さんが長年カンボジアに住んでいて、クメール語やクメール人の文化・伝統を理解しているということであれば、カンボジア国籍を取得して代表になっても否やは唱えない。しかし、現実はまったく違うようである。仮に、オリンピックの日本代表マラソン選手が全員ケニア人選手になったら、日本国民は、「これで、オリンピックでメダルが取れる!」と言って喜ぶだろうか。私にはとてもそうは思えない。それはカンボジア人にとっても同じだろうと思われる。「カンボジア人の出場枠を奪った形振り構わぬ日本人」としか見られないのではないかと思う。他人の不幸を喜ぶつもりはないが、この件に関しては国際陸上競技連盟の判断を支持したい。

 さて、今後、猫さんはどういう行動に出るのだろうか。まさかとは思うが、「オリンピックに出場できないのなら、カンボジア人でいる意味はない。どうせ、オリンピック後は日本人に戻るつもりだった」という行動には出ないでほしいものである。


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