日本の政治が混乱している。「失われた20年」という言葉に象徴されるように、日本の凋落は目を覆うばかりだが、これは世界でも稀有な例だろう。多くの日本人は世界中が不況なのだと信じているようだが、OECD加盟国の中で、日本ほど落ちぶれ果てた国は、ほかにはないだろう。しかも、坂道を転がり落ちるボールのように、現在も凋落は続いているのである。
このようなことを書くと、「すべて安倍が悪い!」という声が聞こえて来るかもしれないが、安倍首相は20年も首相を続けているわけではない。有り体に言えば、過去20年の間、まともな首相は一人も現れなかったから、安倍首相は救国の英雄になれる可能性もあっただろう。しかし、首相はただの神輿にすぎないと信じ込まされてきた国民にとっては、強権的なイメージが付き纏う安倍首相は独裁者に映るらしい。日本国民の認識は、安倍首相が世界各国の首脳に信頼されていることとは対照的である。馬鹿馬鹿しい話だが、「首相は軽くてパーがいい」というのが、大多数の日本国民の認識なのだろう。
で、今回の衆議院選挙である。台風の接近で投票に行く有権者が減少するのではないかという懸念もあるようだが、今回の選挙は、日本国民の民度や政治意識が露わになるだけでなく、日本の未来をも暗示する選挙になるのではないだろうか。そして、事もあろうに、その鍵となるのが枝野幸男率いる立憲民主党、すなわち民進党左派のようなのである。
テレビのニュースを見てもWebニュースを見ても、立憲民主党の優勢が報じられており、希望の党は失速だという。もともと素人集団であり、しかも都議選で駒を使い果たしてしまった希望の党が優勢だったら奇怪なことなのだが、究極のポピュリズムを旨とする日本の選挙では、希望の党が優勢になると信じられていたようである。その象徴的な現象が、民進党の前議員が雪崩を打って希望の党に流れ込んだことだろう。それこそ恥も外聞もなく、当選のために転向・改宗をも厭わなかった前議員たちが醜態を晒していた。そして、最低限の節度を守った小池氏により「排除」され、公認を得られなかった民進党の残党が立憲民主党に流れ込んだわけである。したがって、崩壊寸前だった民進党の残党が看板を書き換えたところで、国民の支持が集まるはずはなかったのである。
ところが、今や立憲民主党が野党第一党になることが確実視されるようになり、慌てて希望の党に鞍替えした無節操な候補者たちが、これまた恥も外聞もなく造反を続けているという。「当選するためなら何でもあり」という浅ましい姿を晒させた点で、小池氏の功績は頗る大きなものだったと言えるかもしれない。その結果、希望の党の候補は壊滅状態になると見られるに至ったのだから、何とも皮肉なことである。
で、立憲民主党のネット上のフォロワー数が自民党を超えて最多になり、枝野氏が街頭演説をすれば、辺りは支援者(?)で埋め尽くされ、枝野氏の名を叫ぶ声がニュースを賑わすという状態である。これは極めて異常な事態だと思われるが、この異常事態はなぜ起こったのだろうか。一説には、小池氏による「排除」「公認候補選別」という姿勢が嫌われたというが、これは奇妙な主張に感じられる。何百人もの政治家のイデオロギーが完全に一致することはあり得ないが、たとえば、皇国史観を持つ政治家と日本破壊を目指すマルクス主義者が同じ政党に属するというのは尋常ではない。それでは比例代表という制度が成立し得ないし、政党は助成金を得るための方便でしかないということになるだろう。そういう意味では、政党として集団を形成するためには、最低限一致しなければならない部分がなければならない。小池氏が、集団的自衛権行使容認や憲法改正論議を条件にしたことを非難するのはお門違いであり、「政党は助成金を得るための方便でしかない」と認めているに等しい。何はともあれ、ご都合主義の比例代表制は直ちに廃止されなければ選挙にならないだろう。
話が逸れたが、小池氏の発言だけが立憲民主党人気の原因と見ることは、「日本国民はイデオロギーや政策ではなく、口のきき方で政治家を選ぶ」と言っているわけであり、余りにも有権者を愚弄していると言わざるを得ないだろう。では、「選挙のためにイデオロギーを曲げなかったために左派が支持を得た」という見方はどうだろうか。これも日本人的な人情論・浪花節であって、「主義主張が間違っていても、頑迷固陋な人が支持を得られる」と言っているようなものである。しかも、立憲民主党の候補者たちは、節を曲げなかったのではなく、小池氏により「排除」された落ちこぼれ組なのである。
こうして考えてみると、やはり立憲民主党の人気は説明が難しい。仄聞するところでは、ネット上のフォロワーも演説会場の群集も、そのほとんどが在日韓国人のサクラであるという説もあるようだが、安倍政権が続いて最も困るのは韓国だろうから、この説には一定の説得力はあるだろう。もし、立憲民主党が与党になり(立候補者の人数からしてあり得ないが)、枝野首相が誕生すれば、マッカーサー憲法の改正が阻止され、日韓通貨スワップが再開されて、またぞろ日本は韓国に1兆円規模の円とドルを貢ぐ羽目になるだろう。韓国にとっては笑いが止まらない話であり、世論に流されやすい日本人を欺くための計略が実行されているのかもしれない。
さて、こうした日本の混乱は、もはや日本人自身の手によって治めることは不可能に近いように思われる。今の日本に必要なのは、安倍首相よりも強力な独裁者ではないかと思うが、国民の多くは軽くてパーな首相を望んでいる。日本が変わるためには、大東亜戦争の敗戦に匹敵するような出来事が必要なのかもしれない。もしそうなら、北朝鮮の核ミサイルこそが日本を変える鍵なのかもしれない。北朝鮮は「日本海側の原発に核ミサイルを撃ち込む」と言っているらしいが、それが実行されたとき、「憲法9条がある限り、日本は永遠に平和である」と主張できる人間はいなくなるだろう。「たとえ日本人が絶滅することがあっても、憲法改正は許されない」と主張できる人間もいなくなるに違いない。現在は、評論家の森永卓郎や漫画家のやくみつるが平然と主張しているようだが、共産党の志位氏や立憲民主党の枝野氏の選挙演説も同じような趣旨に聞こえる。してみると、北の将軍は、日本にとって、悪魔の化身であるとともに救世主でもあるのかもしれない。とはいえ、日本が変わるために数百万人という犠牲者が必要なのだとしたら、余りにも情けない話である。
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