反日派の日本人は親ロシア派か?

 ウクライナ戦争について書かれているブログを読むと、日本人には親ロシア派が多いようである。「ロシアを悪者にするメディアや世論は気持ち悪い」とか「ウクライナがロシアの侵攻を受けたのは自己責任だ」といった主張である。もっとも、ウクライナの民間人が死んでいることが誰の自己責任なのか、ロシアはなぜ悪くないのかについては、納得できるような主張は見当たらないようだ(ムキになって探す気もないが)。

 

 もっとも、「ロシアにはロシアの立場や正義があるのだから、ウクライナ侵攻もやむを得ないのであって、だから、ロシアを一方的に非難するのはおかしい」という論調は見かける。日本人にはこういう論調が受けるようだが、普通に考えれば、奇妙な論調ということにならないだろうか。

 

 たとえば、昭和16年に始まった日米戦争は(ちなみに、真珠湾攻撃の前に、アメリカのフライング・タイガースによる日本軍攻撃が開始されていた)、戦争などやりたくもない日本が、戦争狂のルーズベルトの罠に嵌って始めさせられた戦争だった。資源のない日本に対して、アメリカはABCD包囲網などにより兵糧攻めを仕掛けてきたわけだが、決定的だったのは石油の禁輸措置だった。戦艦も航空機も石油がなければ動かない。日本の石油備蓄がゼロになってから戦争を仕掛けられたのでは、日本は戦うこともできないまま一方的に滅ぼされてしまう。恐怖に駆られた日本は、勝てるはずのない戦争に踏み切らざるを得なかった。

 

 こういうことを書くと、多くの日本人は半狂乱で反論するだろう。「太平洋戦争は日本が世界征服を目指した侵略戦争だ」とか、「日本の軍国主義が第二次世界大戦を引き起こし、世界中の人々に悲惨な戦禍をもたらした」といった主張であり、「歴史の教科書に、太平洋戦争は日本の侵略戦争だったと書いてある」というのもある。教科書に嘘は書かれていないという根拠のない主張であり、昭和天皇や東条英機首相が、戦争回避に尽力したことは徹底的に無視するのである。

 

 しかし、「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したのは、アメリカのフーバー元大統領や、日本人が神のごとく崇拝していたマッカーサー元帥である。日本に対する憎悪に凝り固まっていたマッカーサー元帥でさえ認めざるを得なかった事実を、反日派の日本人はなぜ無視できるのだろうか。これは理解不能としか言えないのだが、その異常な自虐性ゆえと考えるべきなのか、あるいは「最初に反日ありき」であり、真実には興味がないということなのだろうか。

 

 で、そういう人たちに限って、日本の立場や正義を認めようとはしないのに、ウクライナに侵攻したロシアの立場や正義は擁護する。単に、ロシアやシナが好きで、ウクライナやアメリカや日本が嫌いなだけなのかもしれないが、その深層心理を探ってみたい気はする。もちろん、自国民が義勇軍に志願することを容認したデンマークや、ウクライナに対する武器供与を決定したスウェーデンも非難するのだろうが、その理由・根拠を聴いてみたいものである。とは言え、どうせロシアにはロシアの立場や正義があるが、デンマークやスウェーデンには、立場や正義はないということなのだろう。

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ウクライナ戦争-日本国民は祖国を守れるか

 ウクライナのゼレンスキー大統領が国民総動員令に署名したことが、日本国民の間で批判されているようだ。「国を守るのは大統領と政府の責任だ」とか「国民を戦争に巻き込むな」ということらしい。

 

 そういう意見に対して、私が故ジョンケネディ大統領の言葉を借用して「ウクライナ人は、国家に何をしてもらえるかではなく、国家のために何をなすべきかを考えるときだ」と書き込んだところ、「そう思わない」という人が圧倒的に多かった。日本では当然に予想できることであり、日本ではゼレンスキー大統領は評判が悪いようである。

 

 しかし、この世界の現実は、日本国民の常識(?)とは全く異なる。欧米メディアでは、ゼレンスキー大統領の評価は極めて高いそうであり、ウクライナでは、ゼレンスキー大統領の支持率は91%にまで跳ね上がったそうである。また、いったんポーランドに避難したウクライナ人も、ウクライナに戻って戦うことを望んでいる(テレビの現地インタビュー)。彼らが望んでいるのは避難場所ではなく、ウクライナで戦うための武器だという。これはゼレンスキー大統領も同様で、大統領が望んでいるのは避難用の航空機ではなく武器だと明言している。ロシアは、ゼレンスキー大統領を暗殺するために傭兵部隊を送り込んだそうだが、ゼレンスキー大統領は国外に逃亡しようとはしないのである。

 

 また、世界各国でロシアに対する批判や制裁措置が行われているのは周知のとおりだが、デンマークは、国民がウクライナ義勇軍に参加することを容認したと報じられ、スウェーデンは、ウクライナに対する武器供与を決定したそうである。各国の国民が、それぞれウクライナのために何ができるかを考えている証左である。

 しかし、日本では「ゼレンスキー大統領は無能だ」「ロシアの侵攻は当然だ」といった主張が罷り通っているようだ。例によって例のごとく、「日本の常識は世界の非常識」ということになっている。ちなみに、ウクライナ大使館が日本人義勇兵を募集したところ、70人が応募したそうである。しかし、日本政府は、直ちに日本人義勇兵の募集を取り止めるように申し入れたそうだ。日本国民は「ウクライナが平和になってほしい」と祈っていればよいということだろうか(インドネシア独立戦争では、2千人ほどの日本人が義勇兵として戦い、殆どの将兵が戦死した)。

 

 で、ウクライナ戦争を目の当たりにして、最も危機感を持ったのは台湾だろう。世界がロシアの暴挙に対して高みの見物を決め込めば、中国は、我が意を得たりとばかりに、台湾侵攻を実行しようと考えるはずである。台湾では緊張が高まっているようだが、日本では危機感が全く感じられない。台湾が陥落すれば(そう簡単に陥落するとは思えないが)、次は日本ということになるのは自明のことのはずだが、日本国民には全く危機感がない。ウクライナ戦争のことを、全く知らない日本人も多いのではないかとさえ思える。

 

 この現象は、長年言われ続けてきた日本人の平和ボケに外ならないが、その根拠は「憲法9条があるから」ということのようである。ほかにも「国連が助けてくれる」とか「戦争など起こるはずがない」といった爆笑モノの根拠ばかりであり、およそ根拠と言えるものではない。「アメリカ軍が助けてくれる」というのは少しだけマシだと言えそうだが、21世紀のアメリカには、対岸の火事を消火する意欲もパワーもないことは、今回のウクライナ戦争で証明されてしまった。

 

 さて、台湾が陥落し、日本が侵攻されたら、日本国民はどういう行動に出るのだろうか。「首相と政府は国民を守れ」「日本には憲法9条がある」「国連に助けを求めろ」などと喚き散らすのだろうか。それとも「酒を持って敵軍に行き、敵兵と酒を飲みながら話し合いをして戦争を終わらせる(日本の学生グループの主張)」のだろうか。

  敵国に侵略されれば、政府や国民の意思に関係なく、国民も戦火に晒される。「そのときは海外に逃げる」という人が最も多いかもしれないが、四方を海に囲まれた日本から脱出してボートピープルになるのだろうか。その後はどうやって生きていくのか、是非ともご高説を拝聴したいものである。なお、小・中学生の間では、「他国に侵略されても、今の生活が変わらないのなら問題ない」という主張が罷り通っているらしい。日本の教育は恐ろしい限りである。



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ロコ・ソラーレ(カーリング)の選手たちに感銘を受けた

 北京オリンピックにおける日本人選手の活躍に感動した日本人は多いだろうが、私は、スキーなどのウインタースポーツには殆ど縁がないので(冬季登山はする)、冬季オリンピックの中継番組などは余り見ない。もちろん、日本人選手がメダルを獲得したというニュースを見れば嬉しいが、競技自体には余り関心がない。スポーツの中継番組と言えば、駅伝とマラソンぐらいしか見ないので、プロ野球やサッカーJリーグについても疎い。

 

 しかし、いつの頃からか、カーリングの試合は見るようになった。初めて見たときは、「あれがオリンピックの種目なの?」などと思ったものだが(失礼)、その奥深さを理解し始めると、段々と面白くなってきた。もちろん、日本チームが強いからこそ見ているのだが、ストーンが氷上を滑って行き、ハウスと呼ばれる目標の円に近づいて行くと緊張感が一気に高まる。非常に頭脳的なスポーツであり、フィギュアスケートのように選手が転倒することがないので、安心して見ていられる点も私の性に合っている。

 

 で、日本代表チームのロコ・ソラーレが予選リーグで快進撃を続けていると知って、中継番組に夢中になり、録画も撮っていた。ところが、イギリス・韓国・スイスなどの強豪国相手に黒星が続き、準決勝進出が危うくなってしまったときは、ゲーム終了と同時に録画を削除してしまった。やはり、自国のチームが敗けるのは悔しいものである。

 

 ロコ・ソラーレがスイスチームに敗けたときは、選手たちは予選落ち(1次リーグ敗退)が決定したと疑わなかったらしい。最後の対戦で思うようなゲームができなかったことが、よほど心残りだったようである。敗戦直後のインタビューを見たが、顔はマスクで半分隠れているとはいえ、涙が溢れそうな悲しい目を見て、思わず貰い泣きしてしまいそうになった。

 

 しかし、ご存じの方が多いだろうが、実はその時、スウェーデンと韓国のゲームは続いており、スウェーデンが勝てば日本が準決勝に進出できるという状況にあった。しかも、スウェーデンがリードしていたので、多くの日本人が、ロコ・ソラーレの準決勝進出を信じていたと思われる。知らぬは選手たちばかりなりだったのである。

 

 やがて、スウェーデンの勝利により、日本の準決勝進出が決まったことを聞いた選手たちは、テレビで見ていても感動するほどの狂喜乱舞ぶりだった。「今世紀最大のサプライズ」という声も聞こえたが(藤澤五月選手だったか?)、多くの日本人にとっては、期待どおりの結果だったのではないだろうか。また、藤澤選手はインタビューで、「4年前と同じで進歩がない」と言っていたが、歓喜の余り飛び出した冗談半分・本音半分だったのではないだろうか(あくまでも私見である)。しかし、他国のチームも進歩しているはずだから、4年後も世界のベスト4に残ったことが、すなわち進歩の証だろうと思う。

 

言うまでもないが、韓国の敗戦により、棚からぼたもちで準決勝に進出できたわけではない。たまたまスウェーデン×韓国のゲームが、日本×スイスのゲームより後に終わったというだけのことである。準決勝に進出できたのは、たゆまぬ努力を続けたことにより手繰り寄せた結果であり、5勝4敗という戦績とDSCドローショットチャレンジ)の成績により自ら獲得した結果である。

 

で、選手たちが準決勝進出を知った時のインタビューの様子は、実に忘れ難いものだった。目に涙が溢れていたのは敗戦直後のインタビューと同じだが、目の輝きが全く別のもので、まさに歓喜に溢れた目だった。どんなに言葉を尽くしても、その歓喜を十分に伝えることはできなかっただろうが、その目が全てを物語っているという印象で、テレビで見ている私の目まで涙で溢れてしまった。「日本のチームが準決勝に進出した」ことよりも、「選手たちが喜んでいること」が嬉しくて仕方がなかった。余人のことは知らないが、他人様が喜ぶ様子を見て私まで泣いてしまうことは、それほど頻繁にあることではない。普通は「良かった」「凄い」「おめでとう」「素晴らしい」という程度のものだが、この時ばかりは、選手たちが喜んでいる姿に感銘を受けて泣いてしまった。ロコ・ソラーレの選手たちに、心の底から感謝したい。

 

なお、今さら書くまでもないが、ロコ・ソラーレは、準決勝で予選リーグ1位通過のスイスに勝利して決勝戦に進んだ。その時点で銀メダル以上が確定したわけである。日本のカーリング史上、オリンピックでは前回の平昌大会の銅メダルが最高位だったので、一段上のステージに上ったわけである。スイス戦では神がかり的に精密なショットが続き、その実力を遺憾なく発揮したという印象で、決勝戦で対戦するイギリスにもその勢いで勝利し、金メダルを獲得するだろうと思われた。選手たちの自信に満ちた笑顔も印象的だった。

 

しかし、ロコ・ソラーレの勢いはそこまでだった。イギリスとの決勝戦では、準決勝のスイス戦のときのような、神がかり的なスーパーショットは影をひそめてしまった。理由は分からないが、本来の実力を発揮できなかったようである。選手たちにとっても納得できるゲームではなかったのではないだろうか。最後は3-10と大差をつけられ、最終の10エンドを戦うことなく、9エンドでコンシード(追い付くことは不可能と判断し、敗北を宣言する)となった。

 

敗戦後の選手たちの心情は複雑だったことだろう。チャンスを逃した無念さもあっただろうし、優勝できなかった悔しさもあっただろう(予選落ちしたと思い込んでいたときのような悲壮感はなかった)。一方では、日本カーリング史上初となるオリンピックの銀メダルを獲得したことの喜びもあっただろう。さらに、銅メダルから銀メダルへと駆け上がったから、「次のオリンピックでは金メダルを」という意欲に燃えていたかもしれない。カーリングのファンというより、ロコ・ソラーレのファンである私としては、今後の活躍を信じるとともに、感動をを与え続けてくれることを信じてこのブログを終えることとする。


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医者が患者を治療しなくなった

現在の日本の病院は、どうにも釈然としないところがある。以前、「医者が患者を診なくなったhttp://blog.livedoor.jp/patriotism_nippon/archives/5141197.html)」というブログを書いたことがあるが、今は「医者が患者を治療しなくなった」という印象を持っている。正確には「適切な治療をしなくなった」と言うべきかもしれない。

 

 私は、現在、「大腿四頭筋腱石灰化症及び腱の部分断裂」という診断を受けて通院している。もっとも、これは最初に掛かったクリニックの診断である。石灰化した腱が元に戻らないことは知っているが、部分断裂となると放置してはおけない。なにしろ、まともに歩けないほど強烈に痛むのである。そこで、件のクリニックの医師に、手術ができる病院の紹介を依頼したら、「手術は勧めない」と言われ、あっさり断られた。

 

 やむを得ず、他の病院を探すことにしたが、そういう珍しい症例の治療ができるのは慶応病院だろうと踏んで、慶応病院宛ての紹介状を書いてもらえるクリニックを調べて行ってみた。ところが、そのクリニックでは腱石灰化症については無視して、「膝の軟骨が少し擦り減っているから、ヒアルロン酸注射を打つ」と言われた。しかし、ヒアルロン酸注射は変形性膝関節症の患者に注射するもので、私の腱石灰化症に必要な注射ではないらしい。そこで、そのクリニックは二度と行かないことにした。というのは、すぐに別の総合病院に行って質問したところ、「ヒアルロン酸注射は変形性膝関節症の痛みを緩和する注射で、治療効果はない上に癖になる。しかも、貴方の場合、変形性膝関節症の症状は見られない」と言われたのである。

 

 実際、私には、月2回のヒアルロン酸注射を7年も打っているという膝関節症の友人がいるのだが、やはり治療効果はないようである。してみると、その医師は、私を膝関節症の患者に仕立てて、ヒアルロン酸注射を何年も(死ぬまで?)打ち続けるつもりだったのかもしれない。私が葱を背負った鴨に見えたのだろうか。現在は、患者を長期間抱え込もうとする医師が多いようである。特に整形外科の場合、長期間通院させて、理学療法士やマッサージ師のリハビリを受けさせようとするクリニックが多く、私も妻も経験したことがある。もっとも、馬鹿馬鹿しいから、私は3回以上通院したことはない。ちなみに、昔、私や家族の掛かり付け医だった先生(もう亡くなった)は、診断も治療も早く、自分の手に負えない患者(大きな手術や入院が必要な患者)には、すぐに大学病院などへの紹介状を書いてくれたものだが、そういう医師はすっかり少なくなったようである。

 

 そういう経緯で、3ヵ所目は隣の区まで足を伸ばし、過去に何度か入院したことがある総合病院に行ってみた。仕事の都合があって土曜日しか行けなかったのだが、土曜日の整形外科担当医は代診医だった。専任の医師の休診日で、他所の病院の若い医師がアルバイトで代診しているのだろうと思われた。気が進まなかったが、背に腹は代えられないので、2時間も待った末に診察を受けた。また一から出直しで、レントゲン検査から始まったのだが、診断は「右膝にも石灰化があるので、右膝が痛まないなら、左膝が痛むのは別の原因だろう」と言われた。しかし、程度の差こそあれ、人間は両足を同じように使うのだから、両膝が同様の症状になっているのは当然である。そこで、「右膝の腱は断裂していないので痛まない」と主張したのだが、「左膝の腱も断裂はしていない」とあっさり言われた。挙句の果てに、最近の医師の決まり文句である「しばらく様子を見ましょう」が出た。「1ヵ月経っても痛みが取れないようならMRI検査をしましょう」ということになった。しかし、放置して痛みが取れるはずがないのだから、MRI検査をするなら直ぐにすべきだろう。今どきの医師は全く当てにならないのである。

 

 で、それから3週間、苦痛にのたうち回った末に、その病院を再訪した。すると、その日は前回より更に若い医師が代診していて、痛む膝を容赦なく触診した。部分断裂していると思われる患部(その病院の診断では断裂していないのだが)を強く押されると、思わず「ウワッ!」と喚いてしまうほど激痛が走る。しかし、件の若い医師は「あ、そんなに痛みますか?」と、全く気にも留めない様子だった。大腿四頭筋腱石灰化症の患者など診たことがないのではないだろうか(確かに珍しい症例らしいが)。そして言い出したことが「膝がすごく腫れているので水を抜きましょう」だった。思わず「膝関節症ではありません」と言い出しそうになったが、仕方がないので黙ってやらせておくと、太い注射器の針を膝に遠慮会釈もなく突き刺した。

 

 ところが、いくらやっても水など一滴も出ない。焦ったのかどうか知らないが、私が見ている目の前で、針を半分抜いては斜め右に刺し、また半分抜いては斜め左に刺して、水を探し当てようとした。しかし、水が溜まっていると言うからには、それなりの量があるのだろうし、ピンポイントで探さなければならないものだとは思えない。さんざん刺しまくってもなかったのだから、水は溜まっていなかったのであり、針を抜いたあとに流れてくるのは血だけだった。私にしてみれば、とんだ迷惑だったと言わざるを得ない。

 

 しかし、その医師は、横に立っている看護師に向かって「注射器をもう1本」と言い出した。まるで「水が抜けないのは注射器か針が棄損しているからだ」とでも言わんばかりに新しい注射器を要求した。「もう水はないと分かったろう」と怒鳴りたくなったが、看護師は平然と注射器を手渡し、最初に刺した個所の僅か1cmほど左にまた針を突き刺した。採血用の針のような細い針ではないし、そんなものを何度も何度も突き刺されては堪ったものではない。その様子を見ていた私は、すっかり医者という人種が恐ろしくなった。診察室を出る時には、入室する時とは比較にならないほど、苦痛に喘ぐ羽目に陥ってしまったのである。しかも、水は一滴も抜けなかった(なかった)のである。

 

 帰宅の途につくと、私は、なぜその医師が、ありもしない水探しにそこまで躍起になったのかを考えていた。もはや、恐ろしさ半分、怒り半分といった心境になっていたのである。これはあくまでも私見で、想像の域を出ないのだが、その医師は、何も治療をせずに診察を終わらせることに抵抗があったのかもしれない。そこで、当たり障りのない(はずだった)水抜きをしようとしたのではないだろうか。しかし、いくら探しても水はなかった。結果、患者である私に対して面目を失っただけでなく、横で見ていた看護師の目が気になって、焦っていたのではないかと思う。「こんなヘマを見られては、あとでどんな噂を流されるか・・・」とでも考えたのではないかということである。

 

無論、私は病院がそういう所かどうか知らないが、以前、友人の友人である産婦人科医師(つまり、私は知らない御仁)が、ヘマばかりして看護師たちに馬鹿にされているという話を聞いたことがある。案外、当たらずと雖も遠からずかもしれない。2時間待たされ、さんざん痛い目にあわされ、もちろん治療費はしっかり払わされたわけだから、私の方にも深甚なる恨みが残った。もはや、恐ろしさより怒りが上回り、二度と土曜日には行かないと固く決心した。

 

 とどのつまり、最初のクリニックに行って診断を受けてから1ヵ月以上経過したにもかかわらず、現在に至るまで、まともな治療は何一つ受けていないのである。痛みは激しくなる一方だが、有り体に言えば、正確な診断さえ出ているとは言えないだろう。私の自己診断(いつも当たる)では、痛みの激しさから言って、最初の「大腿四頭筋腱石灰化症及び腱の部分断裂」という診断が正しいのではないかと思っているのだが、次は、検査が専門のクリニックに行って、MRI検査を受けることになっている。しかし、検査結果を見る医師の能力次第で、診断は変わるのではないだろうか。「医者が患者を診なくなった」に書いたとおり、レントゲンの画像を見て、私でも分かる骨折が分からなかった医師もいるのである。一体いつになったら治療を受けられるのだろうか。今のまま苦痛が続くのも御免だが、これ以上、時間と労力と金を浪費するのも御免被りたい。

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愛犬クララの死

 私の愛犬クララが死んだ。ロングコート・チワワの雌のワンコで、18歳7ヵ月だった。生後3ヵ月の頃に我が家にやってきて、以来、18年4ヵ月の間、家族同様に暮らしてきたが、遂にその日が来てしまった。1月26日の午前1時頃のことで、私が抱きかかえて水を飲ませ、トイレシートを重ねた床に寝かせると、まもなく息を引き取ってしまった

 

 私は、人生の殆どの期間をワンコとともに過ごしてきた。もちろん赤ん坊の頃の記憶はないが、ワンコと一緒に写っている写真は残っていて、我が家で飼っていた犬はリュウという名前の雑種のワンコだったそうだ。歴代のワンコの多くは野良犬を保護した雑種で、いずれも庭先で飼っていた(埼玉県の田舎で育ったので、小学生の頃は放し飼いだった)。結婚後まもなく飼い始めたのはキャバリア・キングチャールズ・スパニエル(以下「キャバリア」というの雌のワンコで、私にとっては初めて室内飼いしたワンコだった。ハイジと名付けたそのキャバリアは、私や私の家族に大きくかかわることになった。

 

 もともとワンコは賢い動物だが、常に飼い主の身近に置いて話し掛けながら育てると、いっそう賢くなるようで、ハイジも賢いワンコだった。自分を人間だと信じて疑わないようなところもあり、他のワンコが近寄ってくると、『変なのが近寄ってくる。助けて』とばかりに抱っこをせがむのが常で、他のワンコと仲良くすることはなかった。病死するまで15年近く一緒に暮らしたが、私が一人で山に行ったときなどを除き、私の腕枕で眠るのが常だった。私が外出しているときは、忠犬ハチ公よろしく、玄関に座って待っていてくれたものだ。もし、私が先に死んでいたら、忠犬ハチ公のようになったことだろう。

 

 そのハイジが病死したとき、『ワンコはハイジが最後かな・・・』と思い、その後の3年間はワンコのいない生活を送った。しかし、同居していた老母がどうしてもワンコを飼いたいと言うので、『我が意を得たり』とばかりにペットショップに行き、その場でチワワを買ってしまった。本当はキャバリアを飼いたかったが、老母がキャバリアの面倒を見るのは無理だろうと考え、最小犬種であるチワワを選び、クララと名付けた。クララとはチャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」のヒロインの名前だが、私の妻がクラシック・バレエを教える仕事をしていることもあり、この名前を選んだ。そして、予想もしなかったことだが、その後18年4ヵ月の長きにわたり、一緒に暮らすことになったのである。

 

 そのクララは、キャバリアのハイジとは全く別のワンコだった。まず、家から出ることを極度に恐れて、散歩に行こうとしなかった。リードを付けようものなら、ロデオの馬のように跳ね回って逃げようとした。ハイジは、リードの輪を広げて呼ぶと、近寄ってきて自分から首を入れたものだが、クララは大違いだった。しかも、外へ出ると『何事が起こったのか!』と不審に思うほど激しく震え始めるのが常だったから、クララにとっては、我が家のマンションの室内だけが自分の世界になった。一緒にドライブに行き、リフトに乗り、山に登り、キャンプをしたハイジとは大変な違いだった。また、腕枕も特に好きだったわけではなく、すぐにベッドから下りてしまうところもハイジとは違った(ハイジは、腕枕をしてやらないと、私の頭を引っ搔いて蒲団に入れろとせがんだ)。楽だったとは言えるが、愛玩犬には向かない犬種だったようである。どちらかと言えば、ワンコというよりニャンコに近い性格だったようで、実は、それが普通のチワワなのだそうだ。

 

 クララを買うとき、ペットショップのスタッフさんから「この子は母乳で育った期間が長いので、丈夫で大きくなると思いますよ」と言われたのだが、その言葉どおりに体重6kgまで成長した。アップルドームも目立たず、その大きさと相まって、正体不明のワンコになった。予防注射のために動物病院に行くと、他所の人から「何という犬種ですか?」などと尋ねられたものだが、丈夫だという点もペットショップのスタッフさんの言葉どおりで、およそ病気には縁のない生涯を送ったのである(実は、ワンコは非常に病気の多い動物である。ハイジのときは動物病院通いで苦労した)。

 

 しかし、そのクララも寄る年波には勝てず、15歳を過ぎた頃から粗相をするようになり、何度も叱ったが一向に改まる様子がなかった。どうやら認知症が進んでいた上に、耳も全く聞こえなくなっていることが分かったので、再教育は諦めて叱るのを止めた。また、徐々に目が白く濁り始めたが、白内障になっていたようだ。鼻も利かなくなってしまったから、ご飯も見つけることができなくなった。食器の中のご飯に顔を付けると食べ始めたが、顔が食器から5cm外れただけでご飯を見失い、ウロウロと彷徨うほどになってしまった。さらに、後ろ足が弱くなって歩行が困難になり、歩くときは前足を使うだけで、後ろ足は引き摺っていた。そのため、家の中の至る所にトイレシートを敷き詰めて、床をクララの粗相から守る努力をしなければならなくなった。しかし、24時間態勢で監視できるわけではないから、結局は、廊下にトイレシートを敷き詰めて、柵で囲い込むことになったのだが、大便を踏んだ足で廊下を歩き回られると、たちまち大半のトイレシートが汚れるので、毎日のように大量トイレシートを取り替えなければならなかった。晩年の約3年半は、クララにとっても飼い主にとっても、大変な日々が続くことになったのである。

 

 なお、ネット上や書籍には、「犬は寿命の短い動物だから、長生きさせるためには人間の食事を与えてはいけない」とか、「犬には十分な運動をさせなければならない」とか書いている専門家(?)が多いようである。しかし、我が家のクララは、碌に散歩はしない上、人間の食事を好んで食べて18歳7ヵ月まで生きた。そもそもワンコに長生き願望があるとは思えないし、不味い食事を食べて長生きするより、美味しい食事を食べて暮らした方が幸せだろうと私が考えているからだが、クララは大往生だったのかもしれない。むしろ、もう少し早く死んだ方が、楽に生涯を終われたのではないかと思う。最晩年のクララを見て私が妻に言ったことは、「神様は底意地が悪い。なぜ、こんな状態で長生きさせておくのだろう」というものだった。

  これは人間にも言えることで、安楽死が認められていない日本では、末期癌の患者などは地獄の苦痛を味わうことになりかねない。私の父がそうだったのだが、今にも死にそうな状態に陥ってから
24時間も生きていた。正確には24時間も地獄を味わってから死んだ。動物病院の中には動物を安楽死させるところもあるそうだが、クララは安楽死させる前に逝ってしまった。私が末期の水を飲ませた後に静かに逝ったのは、クララにとって最後の幸せだったかもしれない。ちなみに、ハイジは動物病院に預けた日の夜に、動物病院で逝ってしまった。想定外だったとはいえ、私のいない所で寂しく死んだハイジの心情を思い、私は長年にわたって、動物病院に預けたことを後悔し続けた。

 

 今、私の部屋の書棚には、ハイジとクララの遺骨が並んでいる。私が死ぬ時まで、私の傍に置いておくが、私が死んだ後、ハイジとクララの遺骨をどうするかは決まっていない。私と一緒に埋葬できれば良いのだが、我が家の墓がある霊園では無理なようである。最近流行の樹木葬の霊園などでは、人間と動物を一緒に埋葬することができる霊園があるそうだ。多くの動物愛好家が願っていることだろうが、人間と動物が一緒に眠れるようになる日が来ることを願って止まない。



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還付金詐欺の不思議

 日本は詐欺師天国の様相を呈している。オレオレ詐欺や振り込め詐欺という言葉が市民権を得て久しいが、現在は「還付金詐欺」という手口が隆盛を極めているらしい。「還付金があります」と言って銀行のATMへ誘導し、数百万円という金額を振り込ませるという手口だが、私は「還付金詐欺」のニュースを聞くたびに不思議に思っていた。「還付金があります」と言われてお金を振り込んでしまう理由が理解できなかったからである。

 

 そもそも「還付金」とは、払い過ぎた税金などを還付(返金)してもらえるお金のことである。本来の税金は100万円なのに、様々な理由で105万円払ってしまっていたら、過払分の5万円を返金してもらえる。これが還付金である。典型的なのはサラリーマンの年末調整で、保険料などの控除分を計算し、多くの場合、過払いになった税金を還付してもらえる。もちろん、給与以外の収入があり、不足分があれば払わなければならないが、それは滅多にないことだろう。私は一度も経験したことがない。ところが、還付金詐欺の被害者は、「還付金(お返しするお金)があります」と言われて、逆に数百万円を振り込んでしまうのだという。不思議というより奇々怪々という印象である。

 

 で、今日もネット上で「還付金詐欺」のニュースを読んだのだが、何となく分かったのは、携帯電話で指示されると、何も考えずに指示どおりに振込手続をしてしまう人が多いらしいということである。中には、娘さんが必死に制止しても聞く耳を持たず、振込手続を進めた人もいたそうだ。しかし、還付金などはせいぜい数万円のことだろうから、たとえば3万円を返してもらうために3百万円を振り込むのは馬鹿げている。その程度の引き算もできない高齢者が多いというのは釈然としない。

 

 さらに驚いたのは、もしや「還付金」の意味を知らない人が多いのではないかと思い、ネット記事のコメント欄に「還付金とは還付(返金)してもらうお金のことで、追加支払いするお金ではない」と書き込んだら、「そう思わない」という人が圧倒的に多かった。つまり、世の人たちは、「還付金」とは追加で支払う不足金と理解していることになりそうだが、それも釈然としない。税金にしろ社会保険料にしろ、数百万円もの不足分がある人は稀だろう。そう考えると、結局のところ、数万円を受け取るために数百万円を振り込んでいることになりそうだ。役人を名乗る人から指示されると、言いなりにお金を振り込んでしまうというのは、余りにも人が好過ぎると言うべきか、迂闊と言うべきか。あるいは、人によっては欲ボケしていて、指示に従えばお金を貰えると思い込んでいるのかもしれない。いずれにせよ、払い過ぎたお金を返してもらうために、数百万円を支払うことが不条理なことぐらいは、即座に理解すべきだろう。そうでなければ詐欺は横行するばかりである。

 

 もっとも、「還付金がありますから、銀行口座を教えてください」と言われたら、素直に教えてしまう人が多いかもしれない。ちなみに、私のスマホにも「500万円差し上げます。すぐに銀行口座を教えてください」というメールが何度も届いた。無視していたら、半端な金額の方が真実味があると思ったのか、金額を減額したり、期限が迫っていると書いてきたりで、しつこくメールを送ってきた。口座を教えたら、次は暗証番号などを訊いてくるのだろう。また、Amazonの名前とロゴを使い、「アカウントが使用できなくなっています。クレジットカードを再登録してください」というメールも頻繁に届く。実際には買い物ができているのだからお笑いだが、詐欺師のやることは手が込んでいる。お金にまつわるメールや電話が来たら、まずは詐欺だと思った方が良さそうである。



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「学問の自由」を侵害する日本学術会議

 日本学術会議(以下「学術会議」という)の新規会員任命をめぐる騒動が続いている。単純に考えると、任命権は首相にあるのか、それとも学術会議にあるのかということだが、法律的には回答は明確であり、任命権者は首相である。しかし、そこは本音と建前の国である日本だから、話は厄介なことになる。今回、政府に因縁をつけている勢力の主張は、首相の任命権は形式的なもので、真の任命権は学術会議にあるということだろう。つまり、首相は任命という儀式を行う義務を有するのみで、任命権という権能を持つものではない。したがって、任命拒否権もないということになるのだろう。

 

 ちなみに、上記の主張の根拠として挙げられるのが、天皇陛下の首相任命権である。陛下は首相の任命権を有するが、任命拒否権はない。だから、首相も学術会議会員の任命拒否権はないというのである。しかし、これは論理の飛躍という以前に、子供の屁理屈ではないだろうか。マッカーサー憲法には「天皇は国政に関する権能を有しない」「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定されている。しかし、学術会議についてはこのような法規はないと思われる(馬鹿馬鹿しくて調べる気にならない)。悪しき前例主義により、「間違っていることでも、過去のやり方を変更してはならない」と主張しているにすぎない。有体に言えば、そういうことだろう。

 

 また、クレーマーたちは、錦の御旗のように「学問の自由」という言葉を使うが、果たして「学問の自由」の意味を理解しているのか疑問である。この点の主張は全くのこじつけばかりという印象で、たとえば、学術会議の会員になれないと「学問の自由」を侵害されたことになるという主張は意味不明である。件の6名の学者は、首相により自分の研究を中止するよう命令されてはいないはずである。また、会員になっていない数十万人の学者が、等しく「学問の自由」を侵害されているかのような主張は滑稽と言えるレベルである。さすがに、正面からそこまで主張する御仁は出てきていないようだが、言っていることはそういうことだろう。すでに自爆レベルの主張である。彼らによれば、「学問の自由」を享受するためには学術会議の会員にならなければならないのである。しかし、こういう主張には無理がある。任命を拒否された6人のうちの1人である松宮教授(刑法)は、余計な仕事をせずに研究に没頭できるという趣旨の発言をしているが、「学問の自由」は侵害されていないのだから当然だろう。にもかかわらず、任命拒否により「学問の自由」を侵害されたと喚き散らすから、クレーマーたちには説得力がないのである。

 

 そもそも、学術会議はシナの人民解放軍と軍事研究で協力していると言われる組織である。こんなことを書くと、「証拠を明示しろ」と命令する偉そうな読者がいるのだが(「自分で調べろよ。私はアンタの秘書ではない」と言いたい)、10月8日の産経新聞によると、学術会議が安全保障分野の研究を否定する一方で、シナの科学技術協会と相互協力の覚書を交わしており、シナは学術研究の軍事転用を進めているとのことである。参院内閣委員会で、山谷えり子議員が「日本の平和を守るための研究にはブレーキをかけながら中国には非常に協力的だ」と非難したそうだが、それが学術会議の正体なのである。ちなみに、「学術会議が人民解放軍と協力したっていいじゃないか。それが『学問の自由』というものだ」と言われそうだが、学術会議には国民の税金が毎年10億円も注ぎ込まれていることを忘れてはならない。その10億円の使途は不明だが、事務職員が20人もいて、年俸として700万円から800万円くらい支給されているらしい。おそらく幹部の身内などが雇用されているのだろうが、反日組織であり、税金を浪費する組織であり、全く存在意義が見出せないのが学術会議なのである。

 

 シナとの相互協力について、「学問の自由」と絡めてもう少し書くと、上述のように「学問の自由」の侵害を叫ぶ学術会議こそが、重要な「学問の自由」の侵害をしていることが明らかになっている。法政大学の学長は、自分の研究と反する内容の研究であっても、他の研究者の研究を禁止しないという趣旨のことを述べているが、学術会議は、自分たちの意に反する研究を禁止しているのである。その例として挙げられているのが、船舶の推進力を向上させるという北大の研究だそうである。平たく言えば船舶の燃費を向上させる研究ということらしいが、学術会議はこの研究を禁止しているそうである。何とも奇怪なことだが、軍事転用が可能であるということが理由らしい。しかし、それは建前論であり真実ではないだろう。もし、それが本当なら、自動車や航空機の燃費を向上させる研究も禁止しなければならない。では、なぜ船舶の燃費を向上させてはならないのか?以下は私見だが、その研究はシナに漏洩したのではないかと思われる。海洋国家を目指し、太平洋の覇権を狙うシナは、空母などの建造に躍起になっている。しかし、研究レベルは低いようで、シナの空母などは実戦の役には立たないらしい。これは何ら証拠のない想像にすぎないが、学術会議が人民解放軍と協力関係にあるのだとしたら、まんざら的を外した想像ではないかもしれない。学術会議とは、国家の存立を脅かしかねない組織なのである。

 

 で、例によって例のごとくだが、反日学者やメディアが、この問題を政権批判に利用している。お陰で学術会議の裏の顔が徐々に暴かれつつあるのは、とんだ怪我の功名と言えようか。蓮舫なども調子に乗って騒いでいるが、騒げば騒ぐほどボロが出るといういつもの構図になっている。政権側の人たちは、「学術会議は人民解放軍と結びついている」とは言えないだろうから、理由の説明についてはお茶を濁しているが、この機会に広く国民が学術会議の正体を知ることになれば国益に直結するだろう。今後、学術会議を存続させるのかどうかは不透明だが、少なくとも税金を注ぎ込むことは止めるべきである。「完全な民間団体とすることは『学問の自由』を侵害する」と言い出す連中がいることは想像に難くないが(笑)。


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この世界の戦争は日本が起こすのか?

 NHKの連続テレビ小説「エール」が評判のようである。主人公の古山裕一のモデルは、早稲田の応援歌「紺碧の空」や「光る青雲」を作曲した古関裕而なので、私も「紺碧の空」の週は見てしまった。現在は、裕一が慰問のために戦場に赴くというストーリーを放送中のようだが、その悲惨なストーリーが視聴者の共感を呼んでいるようだ。インターネット上には「エール」の紹介記事を多く見かけ、多くの口コミが書き込まれている。私もその口コミを読んでみたのだが、毎度のことながら強い違和感のある口コミが多い。

 

 というのは、戦争の悲惨さを訴える口コミが多いのは良いとして、「この世界の戦争は日本が起こすのであって、日本が戦争を起こさなければ世界は平和だ」と言わんばかりの口コミが目に付くからである。私などはすぐに反論するが、当然のことながら、多くの視聴者から袋叩きにあう。彼等にとって、この世界の戦争は常に日本が起こすのであって、日本国民を除く平和を愛する諸国民が、戦争を起こすことはあり得ないと言いたいようである。というより、私にはそう言っているようにしか読めない。

 

 これは、戦後の日本国民が、所謂GHQ史観(自虐史観)によって洗脳されていることが最大の理由だと思うが、それにしても奇怪なことである。もし、その主張が正しいなら、中東戦争も印パ戦争もベトナム戦争も日本が起こした戦争だということになり、シナによるチベットや東トルキスタンへの侵略も日本が起こしたことになる。さすがにそう明言する強者は滅多にいないが、言っていることはそういうことだろう。実際、私の周囲には「シナはチベットを侵略してはいない。文明化してやっているだけだ」と主張する御仁がいる。シナは戦争をしないと言うのである。真に受ける人間はいないのだが、本人は頑なにそう主張する。取り付く島もないというやつで、日本悪玉論者にはそういう手合いが多いと思われる。

 

 で、核心的なことを書くと、日本悪玉論者は「第二次世界大戦は、世界征服を目論んだ日本が起こした戦争で、日本には未来永劫消えない戦争責任がある」という言い方を好む。これは韓国人が得意とする主張だが、日本でも受ける主張なのだろう。おそらく、そう言われた日本人の多くは黙り込んでしまうのだろう。それで「勝った!」という気になり、そういう主張を繰り返すようになる。そんなところではないだろうか。調べたわけではないが(馬鹿馬鹿しくて調べる気もないが)、中東戦争も印パ戦争もベトナム戦争も、すべて日本が起こした戦争だと信じている日本人は少ないだろう。しかし、第二次世界大戦は、日本が世界征服を目論んで起こした戦争だと思い込んでいる日本人は多いようである。おそらく、日教組の反日教師たちが学校でそう教えているのだろう。結果、日本史の勉強が嫌いになった生徒たちは、自分で日本史を勉強しようとはしないから、大人になっても自虐史観に洗脳されたままになるのではないだろうか。何とも悲惨な話で、こんな国に生まれてくる子供たちは気の毒だから、少子化をもっと推進した方が良いと思うこともある。

 

言うまでもないことだが、日本が世界征服を目論んで第二次世界大戦を起こしたという説は、日本を貶めるための捏造である。しかし、日本人自身がそういう説を好むのは、余りにも平和ボケし過ぎているというものだろう。極東は世界の火薬庫のような地域だから、第三次世界大戦が起こるとすれば極東からだと思われる。しかも、最初の戦場は日本本土ではないだろうか。平和ボケした日本人がインターネット上の口コミに「戦争を起こしてはならない」と書き込んだところで、戦争を抑止することはできない。却って、日本は侵略し易い国という印象を拡散するだけだろう。「敵が侵略して来たら、酒を持って敵軍へ行き、敵兵と酒を飲みながら話し合いをして戦争を終わらせる」と嘯いた学生たちがいたが、到底正気とは思えない。受けを狙ったのかもしれないが、おそらくは、正気ではないが本気だったのではないかと思われる。末恐ろしい国になったものである。

 

 現在、多くの日本国民は、シナが沖縄に侵攻したら沖縄を割譲すれよいとか、韓国が対馬に侵攻したら対馬を割譲すればよいと考えているだろう。それで戦争は終わり、一人の日本国民も死ぬことはないのだと信じていそうである。とにかく「日本は戦争を起こしてはならない」のであって、敵国の侵略に抵抗しただけで日本が戦争を起こしたことになるという思い込みである。そして、抵抗しなければ一人の日本人も犠牲になることはないという荒唐無稽な説を流布する。インターネット上に「戦争を起こしてはならない」という口コミを見るたびに、世界地図から日本という国が消え、この世界から日本人が根絶やしにされる日が来るような気がしてならない。

 

 最後にこれだけは書いておこう。私のブログを読んでくださるような方々はご存じのことだろうが、第二次世界大戦は、戦争狂のヒトラーやルーズベルトが起こした戦争であり、日本の戦争は自衛のためのやむを得ない戦争だった。これは、アメリカのフーバー元大統領や、日本に対する憎悪で凝り固まっていたマッカーサー元帥が証言しているのである。日本の世界征服野望論を唱えている御仁たちの反論を聴きたいものだが、実は、反論はさんざん読ませてもらった。「日本の世界征服野望論は通説である。異論を唱えるなら証拠を示せ」というものである。彼らにとって、マッカーサー元帥は現人神なのだろうが、その現人神が「日本の戦争は自衛のための戦争だった」と証言したのは皮肉である。


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NHKは「偏向放送局」か、「捏造放送局」か

 ケーブルテレビの番組表を見ていたら、「歴史秘話ヒストリア」という番組を見つけた。実は、昔はNHKでよく見ていた番組だったが、NHKのフェイク報道を知ってから見なくなって久しい。で、よく見てみると、ケーブルテレビ局が番組を借りているらしいが、番組の主人公は古関裕而(以下「古関」という)だった。

 

 古関は、現在放送中のNHKの連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルだが、早稲田大学の第一応援歌「紺碧の空」、第二応援歌「光る青雲」、「永遠なるみどり」などの作曲家なので、早稲田出身の私にとっては思い入れの深い人物である。朝ドラなど見ない私だが、「エール」の「紺碧の空」の週は見てしまった。私と同じように、「紺碧の空」の週だけ見た早稲田出身者は多かったらしい。

 

で、その古関が「歴史秘話ヒストリア」で取り上げられていたので、つい見てしまったのだが、番組中に「紺碧の空」は一切出てこなかった。しかし、これはおかしな話である。無名の売れない作曲家だった古関が注目されたのは、「紺碧の空」を作曲したときである。「エール」でもそういうストーリーになっていた。ところが、「歴史秘話ヒストリア」では古関はいつの間にか応援歌の名作曲家のように扱われ、大阪タイガース(阪神タイガース)から「六甲おろし」の作曲を依頼されている。しかも「六甲おろし」によって応援歌の大家になったようなストーリーなのである。

 

 しかし、これは史実に反するだろう。テレビドラマなら適当にストーリーを変えて脚本を書けばよいが(「エール」も細部は史実と異なる)、仮にも「歴史秘話」などと銘打つ番組が、捏造報道をするのは不謹慎ではないだろうか。ちなみに、古関が「六甲おろし」を作曲したのは昭和11年で、早稲田応援団の依頼で「紺碧の空」を作曲したのは昭和6年である。22歳の無名の作曲家が「紺碧の空」の作曲を依頼されたのは、同じく福島県出身の伊藤久男(昭和歌謡界の重鎮で、当時は帝国音楽学校の学生)の推薦だったそうだ。「六甲おろし」で有名になったかのような内容は史実と異なる。しかも、「六甲おろし」の作曲については裏事情があったようなのである。

 

 当時、日本では野球が大ブームになっており、プロ野球が始まった。しかし、アマチュアリズムを尊ぶ当時の風潮の中では、プロ野球は大学野球よりも格下に見られていたらしい。そこで、古関の名声に目を付けた大阪タイガースは、「紺碧の空」の作曲家として知られていた古関に「六甲おろし」の作曲を依頼することで、プロ野球が大学野球と並列すべきスポーツで、格下ではないとアピールしようとしたらしいのである(辻田真佐憲「古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家/文春新書」より)。にもかかわらず、「歴史秘話ヒストリア」では「紺碧の空」には全く触れていないのである。歴史ドキュメンタリー番組としては、製作姿勢に問題があるのではないかと思われる。これでは「偏向放送局」ではなくて「捏造放送局」である。もっとも、NHKの捏造報道は今に始まったことではなく、私がNHKを見なくなったのも、捏造番組(昭和天皇を性犯罪者のように扱った)が原因だった。

 

 で、相当に業腹なので、捏造の理由を想像してみた。第一に、早稲田大学という特定の大学のPRになることを避けようとしたと考えられるが、それなら阪神タイガースのPRをしていることの説明がつかない。そこで、さてはプロデューサーだかディレクターだかが早稲田嫌いで(早稲田の入試で不合格になった?)、「紺碧の空」を取り上げたくなかったのではないかと考えた。案外、当たらずと雖も遠からずかもしれない。それにしても、自称「公共放送」であり、税務署より強い徴収権を持つ(収入がゼロでも受信料を徴収される)NHKが、凝りもせずに「偏向報道」や「捏造報道」を続けるのは許し難いことである。さっさと完全民営化すればよいと思うが、民営化すると中国や韓国に乗っ取られるとでも言うのだろうか?とっくの昔に乗っ取られていると思うのだが。


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医者が患者を診なくなった

 医者が患者を診なくなったなどと書くと、「何のことだ?」と思う人もいるだろうし、「まったくだ!」と思う人もいるだろう。「医者は患者をしっかり診ているぞ」と異論を唱える人もいるだろうが、そういう人は名医にかかっているのではないだろうか。

 

 では、医者が患者を診ないで、一体何を見るのかと言えば、それは各種検査の結果数値や検査機械の画像の類である。検査結果に異常な数値が現れれば、すぐに「癌ではないか」と騒ぎ立てるかと思えば、一方では患者がどれだけ異常を訴えようと、検査結果に異常が見られなければ「どこにも異常は見当たりません」で診察は終了する。患者のことは一切診ないままである。つまり、患者を診ているのは医者ではなく機械であり、突き詰めて考えれば医療機メーカーの技術者ということになろうか。医者は機械のオペレーターに過ぎないという印象である。しかも、機械が癌の画像を写し出しても、ファイバースコープで確認しても、それが癌だとは気付かない医者も少なくないようであり、何ともお粗末な話なのである。

 

 昨年のことだが、こんなことがあった。奥秩父の小川山にフリークライミングに行ったのだが、寄る年波には勝てなくなったようで、岩場に向かう途中、沢の渡渉で派手に転倒してしまった。なにしろ大きな岩がゴロゴロしている沢の中である。受け身を取ったつもりが、却って岩に手を叩きつけ(当たり前か・・・)、右手を痛めてしまった。他の部位はかなり痛んだのだが、掌は殆ど痛みを感じなかった。しかし、それが曲者である。過去の経験から言うと、単なる打撲の場合は最初から酷く痛むが、骨折の場合は痺れていて最初は痛みを感じない。ところが、10分ほど経つと猛烈に痛みが襲ってくるという特徴的な症状なので、すぐに骨折と分かる。その時もそういう症状だった。

 

 結局、クライミングは諦めるしかなかったのだが、仲間たちが心配して、どうしても病院に行けと言うので、皆を安心させるために車で病院に連れて行ってもらった。しかし、日曜日だったので川上村の診療所は休診だった。そこで、診療所の前の消防署にいた隊員の勧めで、少し離れたところにある佐久総合病院の分院に行ったのだが、日曜日でレントゲン技師がいないということで本院に行けと言われた。結局、遥々と佐久総合病院の本院まで出向き、漸く患部のレントゲン撮影と外来診察を受けることができた。

 

 ところが、整形外科の外来では「骨に異常はありません」とあっさり言われた。しかし、レントゲンの画像を見ると、素人の私でも右手小指に亀裂があり、骨の一部が突起状になっているのが分かる。骨折した部分が小さな角(つの)のように斜めに飛び出していたのである。にもかかわらず、医師の診断は「骨には異常はありません」である。さすがに異論を唱えたが、「外科の医師の意見も同じでした」ときた。余りにもお粗末で話にならないので、『帰宅すれば近所の整形外科に行くのだからいいか・・・』と諦めた。ただの打撲ということになり、「湿布薬を出しておきますね」で診察は終わりである。

 

 で、夜になって病院から電話があった。「昼間、骨に異常はないと言いましたが、ベテランの医師がレントゲン画像を見たところ、右手小指が骨折しています」ときたから笑える。私にしてみれば、『自分でもレントゲンの画像を見たから分かっているよ』という話なのである。佐久総合病院には、素人でも分かることが分からない医師がいるということだが、実はこんなことは珍しいことではない。更年期障害と自己診断して病院に行ったときは鬱病だと言われたし(後に検査で更年期障害と判明)、インフルエンザでは二カ所のクリニックに行ってやっと判明したが、一カ所目で風邪薬を山のように買わされた。先日は、妻の知人が江戸川病院で異常はないと言われたが、別の病院へ行ったら骨折だと言われたそうだ。最近はこんなことが珍しくないのである。

 

しかし、昔の医師はそうではなかった。機械や検査薬など使わなくても、患者に対する細かい問診や触診だけでも病気を見つけられたものである(もちろん病気によるが)。私にも、昔はそういう掛かり付けの医師がいて、紹介された大学病院の医師に感心されたりしたものだが、惜しいことに数年前に癌で亡くなってしまった。その後はあちこちの病院・クリニックにかかっているので、今や診察券コレクターのような有様である。

 

 ちなみに、現在は医大の付属病院で膵臓癌と前立腺癌を疑われていて、次から次へと検査の日程を入れられて閉口している。診察の時の会話は、すべて検査数値のことだけであり、「痛むのは肝臓のあたりです」などと伝えても全く意に介してもらえない。『検査結果の数値を見るだけでなく、少しは患者を診ろ。患者の話を聴け』と言いたくなるのだが、どうせ相手にされないから言わないでいる。しかし、言いなりに検査漬けにされるのは業腹なので、その点は抵抗しているが、何とも釈然としないのが日本の医療の現場である(少し大袈裟か・・・)。

 なにはともあれ、本当に身体に異常を感じたら、最低二カ所の病院にかかることが望ましいだろう。そういえば、セカンドオピニオンという言葉をよく聞くようになったが、経験則から言って、確かに必要なようである。


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